2012/02/13 [00:00] (Mon)
プロローグ的な何か。の途中経過。中途半端ですorz
それを見つけたのは、ほんの偶然だった。
普段ならば行かない迷いの森へ入ろうなんて思ったのは、いつも見える筈の小さく可愛らしい存在達が全く見えなくなってしまったからだった。いつもはその可愛らしい声で挨拶を交わしてくれるのに姿さえ見えなくて、彼らに嫌われたのかもしれないと悲しく、けれど誰にも相談できずに一人になりたくて、子どもの頃入ってはいけないと言われた迷いの森へ早朝から足を向けたのだ。
ほんの少し入るだけなら大丈夫だろうと。
そこで、見つけた。
「人……だよな?」
木の根元に倒れ込むようにして丸くなるそれは人の形をしていた。
伏せている為に顔は見えないが、標準的な長さの髪はブロンドというには少し淡く、セピアというには明るい。身長は自分よりも少し高いくらいだろうか、細身ではなく体格は寧ろ逞しいように見受けられる。
そろそろと近寄って見てもそれは身動ぎひとつせず、容易に最悪の想像をさせた。全身の血が大地に吸い込まれるような感覚がして急に世界から音が奪われる。
「おい、大丈夫か! おいっ!」
嫌な想像を振り払うように駆け寄り、その体を強く揺さぶる。反応はない。想像が確信へ近づいて嫌な汗が背筋を伝っていった。
無心にその体を揺すっていた時、ふと気付く。微かな音。
自分でも驚く速さで顔付近に耳を近付ける。僅かな、微かな風の音。
「……生き、てる」
血が全身へ戻ってくる。安堵が躰から力を奪ってだらしなくその場に尻もちをついた。まだ昇りきらぬ太陽が暖かな心地好い陽光を恵み、更なる安堵が身を満たす。
もしかしたら行き倒れた旅人かもしれない。空腹に気を失って、せめてもの回復に深い眠りへとついてしまうのは──そうある話ではないがだからと言って全くない話でもない。
気を取り直して身体を起こす。何にせよ、此処に放ったままには出来ない。隣村の嫌味な髭野郎ならば触らぬ神になんとやらとかぬかして見捨てていくだろうが、自分はそんな非道な人間ではない。困っている人間は助けなければ。
よし、と意気込んでその体躯に手を伸ばす。
思ったよりもその体は重かった。
例えて言うなら、薄い被膜で感覚を覆ったような心地。
視界に映る景色に現実味を感じられなくて、何も考えずただぼうっと額縁の中のようなその景色を見つめていた。
そして唐突に被膜が消える。曖昧模糊とした頭の中の霧が晴れていくように景色が現実味を帯び出した。
何故今まで感知できていなかったのか、可愛らしく楽しげな小鳥たちの囀り、遠くにざわざわと混ざる声、暖かな空気に混じって漂ってくる柔らかな匂い、所々掠れた天井の木材の年月を感じさせる落ちつく色合い、身体を包む滑らかな感触、様々な情報が五感を通して伝わってくる。
ゆっくりと重い体を起こす。寝室らしい部屋は質素で必要最低限のものしか置かれていない。窓に面して置かれたベッドに自分は寝ていたらしい。脇におかれたチェストには可愛らしい白いバラが花瓶に生けられて仄かな甘い香りを漂わせている。長方形の部屋、ベッドの対角線にあるドアは閉められ隣に続いているだろう部屋を確認する事は出来ない。そのドアの向こうから、僅かだが物音が聞こえて他人の気配を感じさせた。
まだ、思考がはっきりしていない。疑問に思うべき事柄が沢山ある筈だ。思考しなければと思うのに重い頭が邪魔をしてうまく働かない。
此処は、何処だ。自分は、何をしていた?
「──……駄目だ」
首を振った副作用に頭が眩んでベッドに倒れ込む。柔らかとは言えない枕に頭が沈みこんで、包み込まれるような感覚がなんとなく心地好かった。
息を吐き出す。深く吸い込む。また吐き出す。繰り返して、心なしか思考が少しだけ晴れる。
喉が渇いた。
ガチャリ
「お、目、覚めたんだな」
唐突にドアが開いて、一人の青年が部屋に入ってくる。陽光を柔らかくしたようなブロンド、森の緑を宿したような双眸は深く整った顔の中に納まっている。少しよれた白いシャツにカーキ色のズボンを合わせ、濃い茶のサスペンダーを着用したその姿は落ちついていて、少し幼ささえ感じさせる容姿だというのに大人っぽさも感じさせる。
比較的太めの眉の端を下げて、自然な形で彼は歩み寄ってくる。恐らくこれは彼のベッドで、自分はそこで寝ていたのだろう。それくらいは分かる。
しかしそうなった経緯が分からない。自分は何をしていた。確か……確か、そう、気晴らしに外へ出て、全く気晴らしにならなくて意地になって歩いて……。
「おい、大丈夫か? まだ寝てた方が」
「あ、いや、大丈夫だよ、ごめん」
「そうか? ああ、喉渇いたろ。ちょっと待ってろ」
言うが早いか彼は今来たドアへと戻って消える。溜息と共に全身の力を抜いて壁に寄り掛かった。何の心構えもないのに人間と相対してしまった衝撃は大きく、衝動を抑える為に余計な精神力を使ってしまった。
再び軽く溜息をついて考える。どうもあの人間、見覚えがあるような気がした。長い事ひとりでいたから記憶が希薄になっていてなかなか思い出す事が出来ない。一体、何処でだったか。
何故かそこそこの存在感を放っていたし、小さな存在の気配もした。ああいう人間の記憶なら残っていてもおかしくはないのだが──来たようだ。
今度はノックの音が響いて後、ドアが開けられる。律儀な人間なのかもしれない。
入ってきた彼が持っているものを見て──固まった。
「おい、やっぱりまだ寝てた方がいいんじゃねえか?」
「だ、大丈夫だよ。それより……それ、は?」
「ん? ああ、生き倒れだったみてえだから腹空いてるだろうと思って作っといたんだ。ちょっと失敗しちまったんだがまあ味に問題はないだろ」
「え」
「ん? もしかしてスコーン知らないのか?」
「い、いや! あ、あはは」
知らないとか知ってるとかそういうレベルではない。なんだこの人間は。何も気付いていない振りをして本当は自分の正体に気付いているのではないだろうか。
あれ──黒く焦げてボロボロに見える黒煙を上げている物体──がスコーンだと? 誰か冗談だと言ってくれ。
そいつはどう見ても兵器でしかないそれを平然と持ち歩き、ベッド脇のチェストに置く。本当に何とも思っていないのか、この男は。
本当はこの人間、自分の正体に気付いていて殺そうとしているのではなかろうか。
──まあ、だがそれもいいか。
「あ、やっぱいい」
「はい?」
「いや、お前が行き倒れってこと考えればもっと消化に良い方が良いだろ。悪い、も少し待っててもらえるか」
「助けてもらった身なんだ。ありがたいよ」
「そっか。空腹辛いだろうけど、休んどけ。何かあったら呼んでいいから」
そう言って、彼は半身を起き上がらせていた自分をベッドへ優しく押しつける。どうやら彼の優しさに嘘偽りはないらしい。
どうしてここまでしてくれるのだろう。見たところ、そこまで裕福といった感じではない。
その疑問を考えながら、どうしても拭えない違和感が増す。何かすっきりしない異物感。喉の奥に何かつかえているような。
窓の外、可愛らしい小鳥のさえずりが響く。
「感謝するんだぞ。俺はアルフレッドだ」
「ああ、自己紹介が遅れたな。俺はアーサー。アーサー・カークランドだ」
あれはいつのことだったろう。
すべてが闇に包まれる朔の夜。暗闇の中、出遭った小さな存在は震えていた。
吸い込まれそうなエメラルド。そこに滲む悲しみに、ほんの少しの希望が灯って。
縋りついてきた手の温もりは怖いくらいで、こっちが震えてしまいそうだった。
──おれ……アーサー……
──俺はアーサー。アーサー・カークランドだ
幼い声に、聞き慣れない声が重なって反響する。
嗚呼、どうして忘れていたのだろう。
目を覚ますと、外はもう赤く染まりつつあった。そんなに寝ていたのかと驚きはしたものの、その感情が表面に出ることはなく覚醒を迎える。
夢を見た。懐かしい夢だ。もういつのことかよく思い出せないが、彼を見る限りそう遠くない昔。
偶然出遭い、偶然助けた人間の子ども。面影はほとんどないが、あのエメラルド色の瞳。あの子どもと同じで間違いない筈だ。
まさか今度は、自分が助けられることになろうとは。
外の赤が一段と濃くなり始めている。彼はどうしているだろうか。
静かにベッドから抜け出して音をたてないように部屋を歩く。改めて思う、質素な部屋だ。
「……アーサー? いないのかい?」
ドアを開けた先、しかし彼はいなかった。
温か味の抜けた調理場と、綺麗に片づけられたテーブル。何か置かれていることに気付いてテーブルに近寄ると、少し出かけるという胸の書き置きが残されていた。几帳面さを感じさせる綺麗な字だった。筆跡を追うように紙をなぞれば、かさかさとした感触が指をくすぐる。
家の雰囲気からしてどうやら一人暮らしのようだ。彼くらいの年の男ならなんら珍しくもない。
さて、彼が帰ってくる前に此処から離れなければ。思わぬ偶然の再会に動揺してしまったが、彼が無事に成長したことが分かってすっきりしたと思えば良い思い出とできるだろう。人とは、関わらない方が良い。
此処が何処だかは分からないが、取り敢えず人里から離れて──
「ただい──おいこら、何起きてんだお前」
どうやらタイミングを逃したようだ。こんな時間まで寝ていた自分を恨みたい。
「おかえり、アーサー。もう大丈夫だよ、君の介抱のお陰だ」
「何が大丈夫だ。ずっと寝てただけで飯も食ってねえじゃねえか。ほら、いますぐ作ってやるからさっさと部屋戻れ」
「ちょ、いいって」
「よくない。戻らないなら殴って気絶させて運んでやる」
「──ごめんなさい」
あの可愛らしさは何処へ置いてきたのやら。彼は無理矢理自分を寝室まで押し込んで、ばたんと一際強くドアを閉め切った。
人の話を聞かないのはどうかと思う。
しかし、恩を仇で返すこともないだろう。助けてもらったのだし、取り敢えず彼に付き合って、夜中に此処から抜け出せばいいだけの話だ。
普段ならば行かない迷いの森へ入ろうなんて思ったのは、いつも見える筈の小さく可愛らしい存在達が全く見えなくなってしまったからだった。いつもはその可愛らしい声で挨拶を交わしてくれるのに姿さえ見えなくて、彼らに嫌われたのかもしれないと悲しく、けれど誰にも相談できずに一人になりたくて、子どもの頃入ってはいけないと言われた迷いの森へ早朝から足を向けたのだ。
ほんの少し入るだけなら大丈夫だろうと。
そこで、見つけた。
「人……だよな?」
木の根元に倒れ込むようにして丸くなるそれは人の形をしていた。
伏せている為に顔は見えないが、標準的な長さの髪はブロンドというには少し淡く、セピアというには明るい。身長は自分よりも少し高いくらいだろうか、細身ではなく体格は寧ろ逞しいように見受けられる。
そろそろと近寄って見てもそれは身動ぎひとつせず、容易に最悪の想像をさせた。全身の血が大地に吸い込まれるような感覚がして急に世界から音が奪われる。
「おい、大丈夫か! おいっ!」
嫌な想像を振り払うように駆け寄り、その体を強く揺さぶる。反応はない。想像が確信へ近づいて嫌な汗が背筋を伝っていった。
無心にその体を揺すっていた時、ふと気付く。微かな音。
自分でも驚く速さで顔付近に耳を近付ける。僅かな、微かな風の音。
「……生き、てる」
血が全身へ戻ってくる。安堵が躰から力を奪ってだらしなくその場に尻もちをついた。まだ昇りきらぬ太陽が暖かな心地好い陽光を恵み、更なる安堵が身を満たす。
もしかしたら行き倒れた旅人かもしれない。空腹に気を失って、せめてもの回復に深い眠りへとついてしまうのは──そうある話ではないがだからと言って全くない話でもない。
気を取り直して身体を起こす。何にせよ、此処に放ったままには出来ない。隣村の嫌味な髭野郎ならば触らぬ神になんとやらとかぬかして見捨てていくだろうが、自分はそんな非道な人間ではない。困っている人間は助けなければ。
よし、と意気込んでその体躯に手を伸ばす。
思ったよりもその体は重かった。
例えて言うなら、薄い被膜で感覚を覆ったような心地。
視界に映る景色に現実味を感じられなくて、何も考えずただぼうっと額縁の中のようなその景色を見つめていた。
そして唐突に被膜が消える。曖昧模糊とした頭の中の霧が晴れていくように景色が現実味を帯び出した。
何故今まで感知できていなかったのか、可愛らしく楽しげな小鳥たちの囀り、遠くにざわざわと混ざる声、暖かな空気に混じって漂ってくる柔らかな匂い、所々掠れた天井の木材の年月を感じさせる落ちつく色合い、身体を包む滑らかな感触、様々な情報が五感を通して伝わってくる。
ゆっくりと重い体を起こす。寝室らしい部屋は質素で必要最低限のものしか置かれていない。窓に面して置かれたベッドに自分は寝ていたらしい。脇におかれたチェストには可愛らしい白いバラが花瓶に生けられて仄かな甘い香りを漂わせている。長方形の部屋、ベッドの対角線にあるドアは閉められ隣に続いているだろう部屋を確認する事は出来ない。そのドアの向こうから、僅かだが物音が聞こえて他人の気配を感じさせた。
まだ、思考がはっきりしていない。疑問に思うべき事柄が沢山ある筈だ。思考しなければと思うのに重い頭が邪魔をしてうまく働かない。
此処は、何処だ。自分は、何をしていた?
「──……駄目だ」
首を振った副作用に頭が眩んでベッドに倒れ込む。柔らかとは言えない枕に頭が沈みこんで、包み込まれるような感覚がなんとなく心地好かった。
息を吐き出す。深く吸い込む。また吐き出す。繰り返して、心なしか思考が少しだけ晴れる。
喉が渇いた。
ガチャリ
「お、目、覚めたんだな」
唐突にドアが開いて、一人の青年が部屋に入ってくる。陽光を柔らかくしたようなブロンド、森の緑を宿したような双眸は深く整った顔の中に納まっている。少しよれた白いシャツにカーキ色のズボンを合わせ、濃い茶のサスペンダーを着用したその姿は落ちついていて、少し幼ささえ感じさせる容姿だというのに大人っぽさも感じさせる。
比較的太めの眉の端を下げて、自然な形で彼は歩み寄ってくる。恐らくこれは彼のベッドで、自分はそこで寝ていたのだろう。それくらいは分かる。
しかしそうなった経緯が分からない。自分は何をしていた。確か……確か、そう、気晴らしに外へ出て、全く気晴らしにならなくて意地になって歩いて……。
「おい、大丈夫か? まだ寝てた方が」
「あ、いや、大丈夫だよ、ごめん」
「そうか? ああ、喉渇いたろ。ちょっと待ってろ」
言うが早いか彼は今来たドアへと戻って消える。溜息と共に全身の力を抜いて壁に寄り掛かった。何の心構えもないのに人間と相対してしまった衝撃は大きく、衝動を抑える為に余計な精神力を使ってしまった。
再び軽く溜息をついて考える。どうもあの人間、見覚えがあるような気がした。長い事ひとりでいたから記憶が希薄になっていてなかなか思い出す事が出来ない。一体、何処でだったか。
何故かそこそこの存在感を放っていたし、小さな存在の気配もした。ああいう人間の記憶なら残っていてもおかしくはないのだが──来たようだ。
今度はノックの音が響いて後、ドアが開けられる。律儀な人間なのかもしれない。
入ってきた彼が持っているものを見て──固まった。
「おい、やっぱりまだ寝てた方がいいんじゃねえか?」
「だ、大丈夫だよ。それより……それ、は?」
「ん? ああ、生き倒れだったみてえだから腹空いてるだろうと思って作っといたんだ。ちょっと失敗しちまったんだがまあ味に問題はないだろ」
「え」
「ん? もしかしてスコーン知らないのか?」
「い、いや! あ、あはは」
知らないとか知ってるとかそういうレベルではない。なんだこの人間は。何も気付いていない振りをして本当は自分の正体に気付いているのではないだろうか。
あれ──黒く焦げてボロボロに見える黒煙を上げている物体──がスコーンだと? 誰か冗談だと言ってくれ。
そいつはどう見ても兵器でしかないそれを平然と持ち歩き、ベッド脇のチェストに置く。本当に何とも思っていないのか、この男は。
本当はこの人間、自分の正体に気付いていて殺そうとしているのではなかろうか。
──まあ、だがそれもいいか。
「あ、やっぱいい」
「はい?」
「いや、お前が行き倒れってこと考えればもっと消化に良い方が良いだろ。悪い、も少し待っててもらえるか」
「助けてもらった身なんだ。ありがたいよ」
「そっか。空腹辛いだろうけど、休んどけ。何かあったら呼んでいいから」
そう言って、彼は半身を起き上がらせていた自分をベッドへ優しく押しつける。どうやら彼の優しさに嘘偽りはないらしい。
どうしてここまでしてくれるのだろう。見たところ、そこまで裕福といった感じではない。
その疑問を考えながら、どうしても拭えない違和感が増す。何かすっきりしない異物感。喉の奥に何かつかえているような。
窓の外、可愛らしい小鳥のさえずりが響く。
「感謝するんだぞ。俺はアルフレッドだ」
「ああ、自己紹介が遅れたな。俺はアーサー。アーサー・カークランドだ」
あれはいつのことだったろう。
すべてが闇に包まれる朔の夜。暗闇の中、出遭った小さな存在は震えていた。
吸い込まれそうなエメラルド。そこに滲む悲しみに、ほんの少しの希望が灯って。
縋りついてきた手の温もりは怖いくらいで、こっちが震えてしまいそうだった。
──おれ……アーサー……
──俺はアーサー。アーサー・カークランドだ
幼い声に、聞き慣れない声が重なって反響する。
嗚呼、どうして忘れていたのだろう。
目を覚ますと、外はもう赤く染まりつつあった。そんなに寝ていたのかと驚きはしたものの、その感情が表面に出ることはなく覚醒を迎える。
夢を見た。懐かしい夢だ。もういつのことかよく思い出せないが、彼を見る限りそう遠くない昔。
偶然出遭い、偶然助けた人間の子ども。面影はほとんどないが、あのエメラルド色の瞳。あの子どもと同じで間違いない筈だ。
まさか今度は、自分が助けられることになろうとは。
外の赤が一段と濃くなり始めている。彼はどうしているだろうか。
静かにベッドから抜け出して音をたてないように部屋を歩く。改めて思う、質素な部屋だ。
「……アーサー? いないのかい?」
ドアを開けた先、しかし彼はいなかった。
温か味の抜けた調理場と、綺麗に片づけられたテーブル。何か置かれていることに気付いてテーブルに近寄ると、少し出かけるという胸の書き置きが残されていた。几帳面さを感じさせる綺麗な字だった。筆跡を追うように紙をなぞれば、かさかさとした感触が指をくすぐる。
家の雰囲気からしてどうやら一人暮らしのようだ。彼くらいの年の男ならなんら珍しくもない。
さて、彼が帰ってくる前に此処から離れなければ。思わぬ偶然の再会に動揺してしまったが、彼が無事に成長したことが分かってすっきりしたと思えば良い思い出とできるだろう。人とは、関わらない方が良い。
此処が何処だかは分からないが、取り敢えず人里から離れて──
「ただい──おいこら、何起きてんだお前」
どうやらタイミングを逃したようだ。こんな時間まで寝ていた自分を恨みたい。
「おかえり、アーサー。もう大丈夫だよ、君の介抱のお陰だ」
「何が大丈夫だ。ずっと寝てただけで飯も食ってねえじゃねえか。ほら、いますぐ作ってやるからさっさと部屋戻れ」
「ちょ、いいって」
「よくない。戻らないなら殴って気絶させて運んでやる」
「──ごめんなさい」
あの可愛らしさは何処へ置いてきたのやら。彼は無理矢理自分を寝室まで押し込んで、ばたんと一際強くドアを閉め切った。
人の話を聞かないのはどうかと思う。
しかし、恩を仇で返すこともないだろう。助けてもらったのだし、取り敢えず彼に付き合って、夜中に此処から抜け出せばいいだけの話だ。
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